運転免許

2003年3月4日
秀さんの運転免許についての質問に答えますね。
私が最初に運転免許を取ったのは、東京でした。
働いていたので、時間の都合と、そして費用の軽減を考えて、練習場で教習を受け、警察に行って試験を受けたの。
路上試験が受かって、家にいた義母にその旨電話して報告したの。
そして家に帰ると、4才の娘が行方不明。
いつも行く商店街に行くと、なにせダダッ子で有名だったもので「その子はあっちに行ったよ」と教えてくれました。
主人にも連絡し、みんなで探しましたが、しばらくして私の職場から電話があり、そこに娘が行っているとのこと。
家からその職場まで、自転車で飛ばして20分かかります。ましてや彼女はいつもその自転車の後ろに乗ってそこに行っているので、道順を覚えていたのが不思議です。
あわてて主人が迎えに行き、帰ってきた格好を見て唖然としました。
私のヒールの高いサンダルを履いて、おばあちゃんに買ってもらった新しい傘を手に持ち、そして白いペンペン草。
その格好で1時間以上かかって歩いて行ったのです。
「どうしてそんなところに行ったの?」
「お母さんにおめでとうと言いたかったの」
その白いぺんぺん草は、私へのプレゼントでした。
「でも、どうしておばあちゃんに言っていかなかったの?」
「だって、言ったらダメって言うもの」
この子のこの性格は、今でも続いています。
運転免許を取れた嬉しさには、この話のおまけがついてしまっているのです。

そして、アメリカの運転免許の話。
アメリカは合衆国です。一つの国ですが、一つの州が独立していろいろな権限をもっています。
運転免許をはじめ、様々な免許なども、その州独自の法律が有り、州ごとに免許を取らなければならないのです。

私は、最初にミシガンに行きましたから、まずミシガンで免許を取りました。
ペーパー試験はどう言うわけか怪しげな日本語訳があり、それで取りました。
路上試験前に、主人に横に乗ってもらい練習しました。「あそこの工事の所を曲がるのね」
でも実際の試験の日には、その工事の標識がなく、「そこを曲がって」って言われて、行き過ぎてしまいました。でも受かったよ。

次はニューヨーク。ここはペーパーだけでした。
でもその後、路上試験が追加され、日本から来た人はみんな何回か落ちます。
慣れているので、スイスイと運転してしまい、規定の一時停止の仕方を満たしていないのでしょうね。
なかには、持ってきた国際免許の期限ぎりぎりまで取れなかった人もいたよ。
娘達も運転免許を取ったのですが、主人とか、知り合いが何度か練習させて、あっという間に取れました。
費用は全部で30ドルくらいだったかな?
こんなドライバーが道を走ってるのかと思ったら恐いよ。
こちらではウインカーは絶対信用しない。
右にウインカーを出して、左に曲がるなんて平気だし、ウインカーを出してくるから曲がるのかと思って出ようとしたら直進してくるし、全く恐いです。
カリフォルニアとかの州は結構みんなゆっくり走っていますが、ここいらは速いですよ。
マンハッタンは短気。信号が変わったとたんにブッブーと鳴らされます。「うっさーい!」
でも、大阪ほどでないかもというのがもっぱらのうわさ。ヒヒ、、、。

車の走るサイドの左右反対なのは、小さな曲がり角でのおまじないを教えてるの
「右小回り、左大回り」
それを曲がり角ごとに唱えなさいってね。
ハワイで、いきなりこっち車線に入ってきた日本人の男の子がいて驚いた!

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