昨日1日中雪が降り、また真っ白けな雪景色。
さくらの話題が流れている中で、雪見をするのは風流なんだか情けないんだか、、、。

出てきたチューリップもスイセンのつぼみもみんな雪をかぶっています。

この間の日曜日から1時間先に行っています。
今までよりも1時間早く起きなければならないので、結構きついのよ。

と、書くと「きっとフミさんは6時くらいに起きているのだろうな」って秀さんは考えるんだろうな。

我が家の起床時間は、、、、8時10分くらい、、
彼は9時過ぎに家を出るの、、、通勤時間10分。

日本から友達が来たときに「この家は毎日週末みたい」って言ってた、、、。へへへ、、。

で、8時起床が1時間早いんだから7時起床と同じでしょう。
これが慣れるまでしばしかかるのよ。

でも、不思議と食事時間は時計どうりにお腹がすく。変だなあ(-_-)


どこが春よ〜

2003年4月4日
はるがきた〜♪って浮かれてたけれど、その後「どこが春よ」ってふてくされたいほど寒いです。

火曜日なんていきなりバラバラって雪が降るし、今日もチヤップいですよ。

2泊で友達が来て、おしゃべりして歌を歌って、、、楽しかったけれど、隠遁生活者状態のわたしはその後結構疲れましたです、、、はい、、、

テレビ、インターネットニュースを見ると戦争ばかりで「いやだー」と駄々をこねていたら友だちと甥から同時にテレビドラマが5作来た。

これでしばらく気分転換が出来る。うれしーー!
なんて単純なわたし、、。

昨日彼が「トロントで土曜日から始まるガン学会が今日になってキャンセルになったってメールが来たよ」って言ってました。原因はSARSです。

なんと1万2000人規模の学会だったそうです。
彼は行く予定にはしていなかったのでセーフ。

しかし会場、ホテル、レストランなどはいったいどうするのでしょう。

これはまだ始まったばかり、この先どこまで広がるのか無気味です。

今日は子供たちとお寿司を食べに行きます。
うれしいな

春が来た

2003年3月26日
はぁ〜るが きぃた〜♪はぁ〜るが きぃた〜♪
どこに来たって、畑に来ちゃって、もうたくさんの花の芽、雑草の芽が出ています。
ふきのとうも顔を出し始めました。

しかし、首が痛い。
昨日の朝は首の後ろ、今朝は右側。
う、、、と動けない状態です。
情けない、、、

というのを口実に、今日も庭仕事はしない。

昨日、他の国のDVDも見れるって言われてDVDプレーヤーを買ってきたけれど、ニセ情報でした。
と、言うのか、店員さんの知識不足。
ここには、プロの店員さんはいない。

自分でチェックすべきだった。

アメリカは、変な消費者保護があり、気に入らなかったりすると返品可能。
その兄ちゃんも「もし試してダメだったら返しな」

そう言うけれど、やはり面倒よね。
ま、50ドルだったし、用は足りるので1台目のDVDプレーヤーにしておこう。

我が家でDVDプレーヤーが今まで無かったのが不思議。
これで図書館から映画を借りてきて見れる。

最初に見たのが、人から借りている「ロケットボーイ」織田君のドラマです。
日本のドラマは、香港、台湾の人達に人気で、録画したビデオをDVD化してインターネットで売っているらしいです。
画面に英語と中国語の訳が両方出てきているの
映像も良くないけれど、我慢、我慢

人に言われて「SHOGUN」のビデオを借りてきたけれど、見初めからめげた。
さっさと返してこよう。


早く戦争が終われ!

2003年3月25日
楽観的だった政府も、長期戦の覚悟をしてくれと言い出した。
もう見ないと思っても、ついついテレビのニュースを見、インターネットで日本の新聞を見てしまう。
見てはため息ばかりついてしまう。
今回の戦争では、どうしてもはっきりとした考えを持てない。
もちろんアメリカを始め、どの国にしても表看板の裏の本音がそれぞれあって、どれが正論だなんて無いのだが、あまりにも問題がふくざつすぎる。
アメリカの攻撃の目的は石油だと言われているが、確かにそれも有るだろうが、放っておけばイラク内での状況もどんどん悪くなるのも事実だと思う。
独裁者は、力が落ちてくれば来ほど、反対勢力への攻撃の手を強める。
今回事のついでに消された感じのフセインの長男などは、ほとんど獣のような人格だったといわれている。
それを誰もコントロールできない状況だった。
正当な言論がまかり通らない国は、国としての意味を持たない。
だからといって、外から力でつぶすというのもわけがわからない。
一つ一つの意義を問うのはやめよう。

ただ、どうしても一人一人の命が奪われる様子を見るのは辛い。
今日のニュースでも、ディプレッションが増えているのでなるべく人と接するようにとあった。
テレビをつけても、ラジオをつけても戦争の痛ましい話ばかりで、欝に成る人が多いのだろう。

祈ろう、祈ろう、祈ろう。

レジ

2003年3月21日
戦争が始まって2日がたちましたが、ここでの一般庶民の生活は全く変わらずです。

多分、第2次世界大戦のさなかもそうだったのだろうなって思ってしまいます。

そういうことで、私もいつもと変わらずにスーパーマーケットに買い物に行ってきましたが、ちょっと気分を変えてあまり行っていなかったところに足を向けてみました。

そこで「セルフレジ」を発見。
15品以内と書いてあり、どうにかその範囲にありそうなので挑戦しました。

モニターの前で、英語かスペイン語か選んで、スタートです。

下のあるスキャナーの台に商品のバーコードを当てると、画面に物の名前と金額が出ます。
確認して、隣にあるポリ袋の中に入れます。
それを繰り返して、最後に終了のところを押し、出た金額をお金を入れるところに入れておしまい。

実のところ、なにせ最初なので戸惑った。
袋に入れた商品を途中でカーとの中に入れたら、機械が何か言っていたの。
荷物置く台が、計りになっていて、その総重量も必要らしい。
お金を入れるところも良く分からなくって、聞いてしまいました。

その機械は2台あって、近くのモニターで店員さんが一人でチェックしていました。

今は一つ一つスキャナーに通さなければならないけれど、今にカートに入れたまま全合計が出て欲しいなって思います。

いつもレジで待たされることが多いんですもの。
こちらの人は、後ろで人が待ってようが全く平気。
金額が納得いかなかったら、とことん粘るし、、

ところで、私のレシートの合計はあってるのだろうか?
こちらでは、その店に登録した客だけに値引きするという面倒なシステムが流行ってるの。

そのカードをその機械にスキャンしたのだけど、それがひかれていたかな?
遊んだ気分だから、どうでも良いか。

ーーーー♪ーーーー♪ーーーーー♪

今朝、彼が新聞を読んでいて、うれしそうに教えてくれましたが、

「HOOTERS」ってレストランの名前知ってる?
胸美人のおねえちゃま方が、スポーツジムにいるような格好でフードをサービスしてくれるお店なの。
全米チェーンで、私も友達に連れて行ってもらったことが有るけれど、ハンバーガーとかも結構美味しかったよ。
でも、そこの売りは若く、ぴちぴちスタイル抜群のお姉さま方。
お胸もおみ足も惜しみなく出して見せてくれていて、興がのればフラフープとかで遊んでもくれるの。

なんと、そのお姉さま方がお乗りになる
「HOOTERES AIR」という航空会社が出来たんだそうです。

その話を読んで、彼はニタニタしながら仔細を呼んでました。
残念ながら彼女らは食事とか飲み物のサービスはしないんだそうです。
じゃあなにするんだろう?
とにかく二人の「HOOTER嬢」が飛行機の後方に乗って旅のお供をするらしい。
なんだか良く分からないけれど、これで少し旅行をする人が増えるのかしらね。

楽しかった日

2003年3月16日
朝、メスのチンチラが下のほうで横たわっていました。

この子はふっくらしてきたので、1月にオスと離してしまったのですが、一向に赤ちゃんを産まないので、食べすぎで太ってしまっただけかな?って思っていたの。

息使いも荒くなったので、出産確定!
小さな悲鳴みたいな声も聞こえ、出産はどの動物にとっても大変そう、、って見ていたら、1匹目を出産。その30分後に2匹目を出産。

前回は3匹でしたが、今回は2匹、それもおとなしい子達で、ちょっと安心。
前回は生まれて1時間後には走り回って、脱走を繰り返して大変でした。

その後娘達と食事をするためにマンハッタンに出かけました。

昨日はようやく春めいた気温になり、マンハッタンは人、人、人。
みんな春を待ちわびていたという感じで、外に出てきた感じ。
レストランも外にテーブルを出し、太陽を満喫しながら食事をしている人達もうれしそうです。

最悪なのが駐車。
どこもかしこも車で、駐車スペースのとりあいです。
でも、どう言うわけか、3回とも目的の場所のまん前に行くと停まっていた車が出て駐車する事が出来、みんなで大感激。

食事は海鮮中華
行く前は「今日は絶対高級品を食べるぞ!」とひそかに決意して出て行ったのですが、メニュのを見て決意がさーっと引けてしまった。
「え!ふかひれスープって一人前66ドル?4人で225ドル。干しあわびは、、、、あ、いらない」
結果、娘達のリクエストでカニと、ロブスターなどと、あといくつかを頼んで、5人分で130ドル
彼が「安く上がった」って喜んでいた。

美味しかったよ。
とくに未来の婿が喜んで食べていたよ。

その後イタリー街のカフェで、コーヒーとお菓子を食べて娘のアパートに戻りました。

そこで子供たちから私たちの結婚30年のプレゼント。

あけて「あーびっくり」

指輪の箱が2つ。
私の箱をあけると大きな指輪で?????
「お母さんの箱にはお父さんの指輪でしょう」

なんと結婚30年にして指輪の交換をするように娘達がセッテングしてくれていました。
結婚した時に私は指輪をもらったけれど、彼のはなかったの。

大テレの彼が、職場にはしていけないというと

「アメリカでは、普通結婚した男性はみんな指輪をしているでしょう。指輪をしている人はエスタブリッシュした人とみなされるでしょう」

と、娘から説教をくらい、後からメールで「ちゃんとしていくように」って駄目押しされていました。

家に帰ると、2匹いるはずの赤ちゃんが1匹しかいず、大慌てで探しました。

かごのすぐ後ろの陰に見つけて、お母さんの所に戻しましたが、まったく生まれてすぐに柵をよじ登って脱走だもの、まったくすごい生き物です。

今朝、かれはちゃんと指輪をしていきましたよ。

昨日の気温で庭の雪がほとんど消えました。
そして雪の下からスイセンの芽が出てきました。

もうじき春です

旅行の話を書くって言ってて、もう記憶がどこかにとんじゃったよ。

今、キムタクのドラマ「Good Luck」を見ています。

今回の旅行も乗り換えがあったから、合計4機の飛行機に乗ったけれど、こちらのキャビンアテンダントは、日本の人のような優雅な人は全くいないよ。

優雅というより、たくましさ、何か有ったら「頼りになります」って感じの人達ばかりです。

今回のフライトでは一人、結構な年配、年のころなら60歳近い男性がいました。

女性だって、けっこうな年齢の方もいますし、日本の「スチュワーデス=容姿端麗、頭脳明晰」はここでは無いです。

私が日本に帰るときに、前はノースウエストばかりだったの。

気分は「貨物」

3年前から日本の航空会社に変わったら、気分は「お客様」になった感じ。

でも、値段を取るか、サービスを取るかって聞かれたら、やっぱり値段だろうな。

今、NY−日本往復が400ドルで出てるの。
これだったらノースでも我慢しちゃう。

13時間「私は貨物です」って椅子に座って我慢して後で温泉でも入れたらそれでいいや。

友だちと、温泉でも行きたいねって話してるよ。

友だち二人が、もうじき大阪と、芦屋に行くよ。

私は秋まで我慢!


運転免許

2003年3月4日
秀さんの運転免許についての質問に答えますね。
私が最初に運転免許を取ったのは、東京でした。
働いていたので、時間の都合と、そして費用の軽減を考えて、練習場で教習を受け、警察に行って試験を受けたの。
路上試験が受かって、家にいた義母にその旨電話して報告したの。
そして家に帰ると、4才の娘が行方不明。
いつも行く商店街に行くと、なにせダダッ子で有名だったもので「その子はあっちに行ったよ」と教えてくれました。
主人にも連絡し、みんなで探しましたが、しばらくして私の職場から電話があり、そこに娘が行っているとのこと。
家からその職場まで、自転車で飛ばして20分かかります。ましてや彼女はいつもその自転車の後ろに乗ってそこに行っているので、道順を覚えていたのが不思議です。
あわてて主人が迎えに行き、帰ってきた格好を見て唖然としました。
私のヒールの高いサンダルを履いて、おばあちゃんに買ってもらった新しい傘を手に持ち、そして白いペンペン草。
その格好で1時間以上かかって歩いて行ったのです。
「どうしてそんなところに行ったの?」
「お母さんにおめでとうと言いたかったの」
その白いぺんぺん草は、私へのプレゼントでした。
「でも、どうしておばあちゃんに言っていかなかったの?」
「だって、言ったらダメって言うもの」
この子のこの性格は、今でも続いています。
運転免許を取れた嬉しさには、この話のおまけがついてしまっているのです。

そして、アメリカの運転免許の話。
アメリカは合衆国です。一つの国ですが、一つの州が独立していろいろな権限をもっています。
運転免許をはじめ、様々な免許なども、その州独自の法律が有り、州ごとに免許を取らなければならないのです。

私は、最初にミシガンに行きましたから、まずミシガンで免許を取りました。
ペーパー試験はどう言うわけか怪しげな日本語訳があり、それで取りました。
路上試験前に、主人に横に乗ってもらい練習しました。「あそこの工事の所を曲がるのね」
でも実際の試験の日には、その工事の標識がなく、「そこを曲がって」って言われて、行き過ぎてしまいました。でも受かったよ。

次はニューヨーク。ここはペーパーだけでした。
でもその後、路上試験が追加され、日本から来た人はみんな何回か落ちます。
慣れているので、スイスイと運転してしまい、規定の一時停止の仕方を満たしていないのでしょうね。
なかには、持ってきた国際免許の期限ぎりぎりまで取れなかった人もいたよ。
娘達も運転免許を取ったのですが、主人とか、知り合いが何度か練習させて、あっという間に取れました。
費用は全部で30ドルくらいだったかな?
こんなドライバーが道を走ってるのかと思ったら恐いよ。
こちらではウインカーは絶対信用しない。
右にウインカーを出して、左に曲がるなんて平気だし、ウインカーを出してくるから曲がるのかと思って出ようとしたら直進してくるし、全く恐いです。
カリフォルニアとかの州は結構みんなゆっくり走っていますが、ここいらは速いですよ。
マンハッタンは短気。信号が変わったとたんにブッブーと鳴らされます。「うっさーい!」
でも、大阪ほどでないかもというのがもっぱらのうわさ。ヒヒ、、、。

車の走るサイドの左右反対なのは、小さな曲がり角でのおまじないを教えてるの
「右小回り、左大回り」
それを曲がり角ごとに唱えなさいってね。
ハワイで、いきなりこっち車線に入ってきた日本人の男の子がいて驚いた!

今年になって2軒のレストランのハンバーガーが話題になっています。
秀さんもこの間ハンバーグを作られたと書かれていましたが、日本のハンバーグには炒めた玉ねぎとか、つなぎとかが入っていますよね。
こちらのバーグは、牛ひき肉100%です。
それに塩、コショウとか、他のスパイスを混ぜてこねて平たくして焼くだけです。
それと、好みの野菜を乗せて、ケチャップで味付けして終わり。
要するにマックとかで出しているハンバーグです。
値段も安いのは1ドル。レストランでも6,7ドルと言うところです。
ところが、今年になって41ドルのハンバーグが出たんです。
マンハッタンの中のステーキハウスで出される「神戸牛バーガー」です。
神戸牛と言ってもアメリカで、神戸牛と同じように育てられた牛なんだそうです。
その肉のサーロインの部分を、一個あたり567グラム使うんだそうです。
トッピングは、4種類のキノコをソテーしたものが乗っかっているそうで、テレビのニュースで流れた時は「ポテトもついてます」って冗談を言っていました。
ところが、そのニュースの数日後、今度は50ドルのハンバーガーを紹介していました。
これは有名なフランスレストランのバーガーで、外側がサーロインのひき肉で、中に煮込んだショートリブと、なんとフォアグラと、黒トリュフが入ってるの。
最初すごい!って思ったけれど、私はフォアグラの美味しさは分からない。
フランスでも食べたし、こちらでも食べたけれど、「レバー」としか思えない。
黒トリュフもこれまた美味しさは分からない。
料理の上に乗っている程度では味が分からないからって、1個買ってたっぷりと料理に使ってみたけど、匂いの強いキノコ以上の何物でもない。
わたしやそこいらへんのレストランのバーガーでいいわ。

犬の言葉の認識

2003年2月21日
一説によると、犬は人間の言葉を言葉としてではなく、トーンで認識していると言われています。
でも、犬を飼っている人は、その説に異論を掲げる人が多いのではと思います。
Boyは結構頭の良い犬で、のみこみも早いです。
彼が帰宅し、ガレージからのドアを開ける時、私が「パパだ。パパだよ」とBoyに迎えに行かしています。
彼がパパと認識させたくやっていたのですが、それを3日間やって、「パパは?」と聞いたら、パパはそばにいるのにBoyはガレージのドアの前に走って行き、誰もいないと判断して、今度は裏玄関まで走っていきました。
もう一度やっても同じ事をやります。
Boyの中では「パパ」は誰か人が来るということになったらしい。
前の犬のときは「きた」と言う言葉は禁句でした。
ハイパーな犬で、来客の度に喜んで吠えまり、お客さんは驚くし、私たちは耳が痛いほどでした。
どうも私は人がきた時に「あ、来た」と言っていたらしく、それをキャッチして「来た」と聞くとドアまで吠えながら走っていくのです。
「来た」はもちろん「飽きた」「北」も会話の中に入っていると横で寝ていたにもかかわらずすぐに反応して大騒ぎしていました。
これだけ理解できるBoyですが、まだトイレの場所がはっきりとつかめず、今朝はバスマットの上にウンチをして彼が「もうお家に帰れ!」と叫んでいました。
朝食に昨日焼いた「梨のタルト」を彼に出してあげたのですが、お皿の上にのったタルトを食べ終わると、パイ皿のタルトの真ん中から突っつき食べ始めました。
気がついたときは真ん中が無いグチャグチャ状態。
「これじゃあ他の人に出せないじゃない」
大きなビーツ(秀さんビーツは赤カブみたいで、中も真っ赤なの)を焼いたのものも出したのですが、昨日も今朝も手をつけない。
「なんで食べないの。食べないなら全部お弁当に入れてやる」
「朝からうるさいな。ほっといて。好きにやらして」
<全く!躾がなってない子はお家に帰りなさい>と、心の声でした。

このビーツがちょっと問題でした。
夕べ寝る前にトイレに行ったら、尿がかすかに赤みを帯びていました。
そして今朝の尿も同じように赤みを帯びているのです。
「お腹あたりが膨れているし、顔もむくんでいるように丸い、、もしかしたら腎臓が、、、」
と、少し心配になってきて、はた!と気がついたのがビーツ。
そう言えばビーツを食べると、尿が赤くなるのを忘れてた。
じゃあお腹と顔は、、、、やはりチョコレートか。
バレンタインにあちこちからチョコレートをいただいたので、調子に乗ってパクパク食べていたのよね。
は〜ぁ、、、反省。

Boy

2003年2月20日
Boyは預かっている犬の名前です。
持ち主は中国系マレーシア人で、彼を中国式に「ボーイボーイ」と呼んでます。
良く分からないけれど、子供のときは名前を2回続けてよぶみたいです。
この子が来て5日目ですが、かなり落ち着いてきました。
我が家では以前アメリカンエスキモーのメスを飼っていました。
スピッツに良く似た真っ白な犬で、かなり神経質で良くほえていましたが、この子はほとんど吠えません。
「吠えない犬っているのかしら」なんってずっと思っていましたが、要するに躾なのかしら。
Boyは甘ったれですが、犬にしても人間の子にしても、概して男の子のほうが甘えん坊のようです。
子供を抱くと、男の子はぴたっと体にくっついて来ますが、女の子は抱かれながら外を見ている事が多いなって感じています。
前のメス犬は抱きしめようとすると「放っておいて」と言う感じでしたが、Boyは桃太郎さんの犬のように私の後をついて周り、座ればひざの上、寝転べば腕枕で一緒なって寝るという具合です。
まるでぬいぐるみの犬状態でそばにいられると、なんとなくこの子の犬生を全部任された気になって、新しい飼い主を探すと言う本来の使命を忘れてしまいそうです。
最近、同時に犬を亡くした近所の二人のおばちゃんに声をかけましたが、あっさりとふられてしまいました。
二人とも犬のいない自由をエンジョイしているという感じは私も同じなのであまり強く勧められないな。
私も、前の犬が死ぬ前半年間の大変さを考えたら、もう犬はいらないって思ってしまうけれど、犬のいる生活の楽しさも知っているしと、思いはちりじりに乱れてしまいます。
近所のおばちゃんに犬のトリーミングショップに行って犬が欲しい人の情報をもらうように薦められ、その店の前に行ったのですが、そのまま帰って来ました。
どうせなら知っている人にもらわれて行って欲しいなって願っています。
Boyの飼い主はもう1匹犬を持っています。
1歳半のオスのチワワだそうです。
今週末見せてもらう約束をしてしまった。
えーん。
さてさていったいどうなるのかしら。
我が家のペットのチンチラちゃんのお腹も大きい気がしているのよね。


外はまだ深い雪が積もっています
昨日家の周りグルッと動物の足跡がついていました。
このあたりにもいろんな動物達がひっそりと住んでいます。
そんな自然界の動物たちは、この深い雪の中では餌を探すのは到底無理な事です。
「夜に何か餌を置いて置いてあげようね」と二人で話していたのですが、すっかり忘れていました。
今朝裏玄関のところまで小さな足跡がありました。
オポッサムという決して可愛くは無い、のろまな静かな生き物の足跡のようです。
前にキツネと遭遇したとき、キツネのためと思って家の前に肉を置いておいたのですが、その時来ていたのがこのオポッサムでした。
その時のことを思い出し、今回も餌を求めて来ていたのでしょう。
人家のそばまで来て餌を探していた足跡を見て、心がチクッとしました。
「ごめんね。今晩は必ず置いておくからね」

ここから1時間くらい離れたところにお住まいの方からメールが入っていました。
彼女は68歳のときに、82歳のアメリカ人と結婚するために日本からここに来ました。
私がお二人にお会いしたときは、彼女が72歳、彼が87歳でしたが、ご主人はとてもそんなお年には見えず、せいぜい75歳くらいと言う感じでした。
お二人が結婚にいたるまで、ご主人が長い間ずっと恋心を抱き続けていたそうです。
その彼女をいつも優しい目で見て、私たちにも、彼女の友だちと言うことで、いろいろと気遣ってくださいます。
82歳で再婚と聞いたら、誰しも老後の世話のためと思ってしまいますが、彼に関しては、全く反対で、ひたすら彼女が気持ちよく過ごせるように気を使われています。
89歳の今も家のペンキを塗ったりと体を常に動かしていらっしゃいました。
今日のメールは、彼の体調が悪くなって入院されたと言うものでした。
2年前に心臓にペースメーカーを入れる手術のときは「こんなところでは寝れない」と2日で退院してしまいましたが、今回はおとなしく病院にいるようです。
軽い脳梗塞らしく、意識ははっきりしているけれど、少し口がもつれるとおっしゃっていました。
すぐにでもお見舞いに行きたいのですが、預かった犬がちょっとまだ心配でいけません。
心がチクッです。

夫婦

2003年2月18日
この日記をブックマークして下さっている「つきかぜさん」の日記を読ませていただいています。
15日の日記を読んで、私も何年夫婦やっても同じようなことをやっているなってつくづく思いました。
この間も、机に向かって仕事をしている彼の横顔を見ながら「30年前となんにも変わっていないな」って思いました。
他の人が言ってもどうでもない事でも、彼に言われるともうどうにも悲しくなったり、怒りまくったり。
彼としては「なんで?」の連続なんでしょうし、私自身も彼へのこだわり自体が辛くって無視しようと思うのですが出来ないのです。
喧嘩のたびに「もうこんな思いは嫌だから、いっそ一人になってしまえ」と思うことも30年繰り返しています。
それを救っているのは、私流で言うなら「男の素直さ」
いつまでもどこかに子供みたいな素直さを持っている男性の「どうであっても好きなものは好き」という直球に救われています。
女だって表面に出て来るのは変化球が多いですが、根本的には単純なんですよね。
いつもその彼の素直さに甘えこんでいました。
私が背中を向けても、必ず彼が前を向かせてくれるものだと思っていました。
でもその素直さの「好き」というのが「もうどうしようもない」というのに変わったとしたら、と言うのが、この間のもつれだった。
寒々とした日々がしばらく続いても、しばらくは「こんなものでもいいや」って思って過ごしていました。
でも神様はそんな状態を悲しまれたのかな?
大きな爆弾を二人の間に落とされ、そのことによって、私はわたしの中の深いところに気がついた。
それから彼には直球で投げるようになってきました。
そんな時に男性の思いを知りたくてメル友を募集して秀さんとやり取りをし始めたんです。
同じ年代の夫婦。
子育てがほぼ終わり、夫婦だけで向き合わなければならなくなった年代。
つきかぜさんはお若い夫婦のようですが、彼女の日記を読んで夫婦ってベテランも何も無いやって思いました。
その相手にだけは、自分の醜いところも、汚い言葉も何もかもぶつけられるから恐いのよね。
私は夫婦って細い糸の綱引きかもしれないって思っています。
自分の方に強く引っ張れば切れるし、力を抜けばたるむし。その少し緊張したひき加減でなっているんだろうってね。
どうしても太いロープの関係と思い込んでしまい、力任せに引っ張りがちですがね。
私たちは来月結婚丸30年です。

大雪

2003年2月17日
去年の今ごろはHawaiiだったのよーー。
今思い出しても甘い花の香りが漂ってくるよ。
今年は雪の中。
記録的な積雪とかで、それもここロングアイランドを直撃です。
20インチと言う事は、60センチですが、吹き溜まりのところはもう1メーターはゆうに越えていますよ。
メインの道路を優先的に除雪しなければならないらしく、我が家の前の道路などは雪原じょうたいです。
今日はともかく、明日の事もあるし、ガレージから道路のところまで車1台分の除雪をしました。
こう言うところは「私って北海道育ち」って思う。
シャベルの動かし方がリズムカルなんて思いながらスイスイやっちゃうものね。
今日の雪はパウダースノーでサラサラと軽いのは助かりました。
友だちがバーモントにスキーに行く予定でしたが中止。
(あ、バーモントはね、北のほうの州で酪農が盛んで景色もスイスみたいなの。スイスの友だちが家族がスイスから来たときに必ず連れて行ったの。「何で?」と聞くと「だってスイスみたいなんですもの」これだけは良く分からなかった。)
「じゃあ家の前でスキーを履いて歩く練習したら?」
彼女はスキー初心者ですが、昨日一そろい買って準備万端だったのよ。
でも、いまどきのスキーって短いのには驚いた。
私の子供の頃は、スキーって立って手を上に伸ばした長さがちょうど良いって言われていたんだけれどね。
北海道人はスキーが上手って思うでしょう。
私は寒いのが嫌いだから、スキーも嫌い。
スキー遠足って言って、学校でスキーに行くんだけれど、ちょっと滑ってあとはストーブの前でお尻あぶり専門でした。
私たちの地域は外出不能ですが、マンハッタンは別らしく、娘のところに電話をかけたら未来の婿が「彼女は仕事に行ったよ」ですって。
テレビではカントリースキーをして遊んでいる人や、セントラルパークでソリすべりをしている人が出ていた。
今週1週間は学校も休みだし、遊べ遊べなのね。
そうそう、昨日から3歳のコッカスパニエルを預かっているのよ。
若いカップルがペット禁止のアパートに移ったので、誰か飼い主を探して欲しいと言う事で、少しの間我が家に預かり、飼い主を探すの。
甘えん坊で、食いしん坊。
我が家に来るとみんなすぐにテーブルドックになるの。要するに「おねだり犬」です。
それまで人間の食べ物に興味を持っていなかった犬も、突如美味しい味を知ってしまい、犬性が変わっちゃうの。
コーギーにステーキをあげたときは「ビョーン」って目も耳も毛もみんな立ちあがってすごい反応をしたよ。
良く漫画で驚いたとき「ビョーン」って書いてあるでしょう。あれって本当だって知ったの。
それ以来その犬もテーブルドックになり、私たちが食事中うるさくなりました。
娘には「家の犬は、お母さんの所から帰ってきたらお行儀が悪くなった」って言われた。
「もうこれはやめよう」と思うけれど、かわいい顔をみるとついついやってしまうのよね。
誰か良い飼い主が見つかれば良いな。

テロ警戒警報

2003年2月16日
この週末はニューヨーク市周辺で、テロ警戒の危険度が黄色からオレンジになっていました。
テレビでは、週末に向けて3日間程の食料、水と目張り用のテープを用意しておいた方が良いですと、しきりに言っていました。
細菌爆弾、化学爆弾などが爆破されたときに、窓に目張りをするためだそうですが、そんなんで防げるはずが無いですよね。
イスラエルの自爆テロのニュースを見ていると、本当にそんな事がいつでも、どこでも起こりえると思ってしまいます。
そんな中マンハッタンに用事で出かけ、1泊してきました。
まずは寒い!マンハッタンの5番街あたりは、両サイドが高いビルになっていて、ビル風がふくと体感温度はマイナス20度くらいになります。
そこで友だちと会うと、すぐに私が郊外から出てきたのがわかってしまうのよ。
「マフラーどうしたの」
顔を半分隠し、首から入る風を防ぐのにマフラーは必需品ですが、普段車移動の郊外人は、それをすっかり忘れてしまうのよ。
私の場合はほとんど家におこもりだし、ガレージを自動ドアにしたので、車から降りずにドアの開け閉めができ、スーパーの駐車場からスーパーまではほんの2,30秒。
ついつい帽子にオーバーコートで出かけてしまいました。
マンハッタンに歩く人は、みな格好つけよりも保身スタイル。
見た目に変でも暖かい方がいいとばかりに、しっかり着込んでいます。
普段でもみんなカジュアルな格好が多いです。
今や日本のほうが皆さんおしゃれで、高い服を着ていますよね。
そうそう、テロね。
今回もあちこちにポリスがたくさんいました。
いるからって自爆テロって防ぎようも無いとおもいますが、何らかの心理工作にはなるのかな?
駅には犬を連れたポリスと自動小銃をもった軍隊。
なにかぴりぴりした雰囲気が、、と思ったら、そのうちの1匹の犬は、なにかのんびりムード。
真っ白なシェパードであまりにも綺麗なので、ポリスと一緒に写真をとらせてもらったけれど、ちっともじっとしていなくって「この子はモデルにはなれないわね」と言っちゃったほど。
その犬は、アイスクリームが好物らしく、おじさんがソフトクリームを食べているのを、めいっぱい「おねがい、、、ちょうだーい」のまなざしで見続けていました。
そんなマンハッタンから電車で家に帰ると、テレビでその駅が全面封鎖で、みんな外に出されたって言っていました。
ケーブルから煙が出たとかの原因だそうですが、ラッシュアワーに、始発駅が閉鎖され、大勢の人の足が奪われました。
私たちはかろうじてセーフでした。
日曜日も何事も無く、ほっとしています。
しかし、またまたラビンがテロをあおっている様です。
もう何ごともない日々ってないのかもしれない。
それでも人々は毎日のルーティンをこなしながら生きていく。
明日はプレジデントディでお休み。学校は1週間の休みになります。
明日は大雪。
子供たちはゴルフ場の坂でそり遊びでしょう。
私はまたおこもりです

雪景色

2003年2月11日
金曜日に結構雪が降り、そして今日また降っています。
今、庭を見ると、木々が樹氷のようになっていて、電気の光に浮かんでいて綺麗です。
昨日は、ロングアイランドの下のほうの海岸に行ってみました。
我が家の近くの河岸は、内海なのでとても静かですが、南側の海は大西洋で結構荒いです。
もう6年位前にTWAが落ちたのもこの海です。
ロングアイランド本島から橋を渡って、横に伸びている砂州の道路を走って、その先端にある駐車場に行ってみると、車が何台も並んでいました。
みんな思い思いに何をするでもなく、ただ車の中から海を見ていました。
強い海風が積もった雪を舞い上げ、波頭の白とともに無彩色の景色を作り出していました。
人工の色も音もない世界。
そんな中にいると、不思議と楽しくなってきました。
みんなそんなことを求めに来ているのかしら。
車が1台去ると、また新しい車が来てしばらく海を眺めていました。
雪って言うのも悪くは無いなって思えました。
本州はもう梅の季節ですね。
今日は旧暦の正月。
娘とマンハッタンのチャイナタウンに出かけてきました。
これって結構勇気がいることなのよ。
ずいぶん前に一度行ったことがあるのですが、命からがらって言うのも大げさじゃないほど大変だったのよ。
爆竹が近年禁止になるまで、狭いチャイナタウンの道路のあちこちで、下のほうから、上のほうから連発の爆竹が炸裂するんですもの。
店の軒先のながーい爆竹が目の前でいきなり炸裂されたときは子供はもう半泣き状態でした。
会話は全く成り立たず、耳を抑えてあちこち逃げるのみ。
「もう絶対来ない」と家族全員一致の決議でした。
今年は先週までとても寒く、外出は避けていたのですが、今日は日の光も春めいていたので、意を決して出かけてみました。
車をイーストビレッジに止めて、そこからまずソーホーの方面に歩きました。
「え〜歩くの!」そう言えば、この子はやたら歩きまわる子だったのを忘れてた!
「お母さん。マンハッタンは歩くのよ!」そうなのよね。近所だったら30分歩くのにも大変に思うけれど、マンハッタンって、表情がいろいろ変わるせいか、どんない歩いても飽きる事はないわね。
その日も、久しぶりにソーホーあたりと、そこからチャイナタウンまでと、店をいくつかのぞきながら歩いてみると、どんどん元気になってくる。
入れ替わりの激しいこのあたりも「この店まだやっているのね」と、思わず用もないのに入ってしまったりもしました。
チャイナタウンに着くと、人人人、、、、人。
いつもだってあふれているのに、今日はお正月とあって、すごい人でした。でも、日本の初詣よりは、はるかに少ない人です。あの初詣の人ごみは異常ですよね。
ちょうどパレードは終わっていましたが、まだモット通りはまだバリケードがしてあって、人とポリスがあふれかえっていて、目的のレストランには着けそうもないので、他の通りに向かってみました。
「ここは?」「飲茶やってる?」残念ながら飲茶の時間は終わっていて、でもアペタイザーとして注文できるよという事で、海鮮料理の店に入ってみました。
日本人ツアー観光客にも使われているようで、店の前には日本語が書かれ、メニューも半分に日本語が書かれてありました。
「海老餃子、ホタテ餃子、春巻き、カニの豆チー炒め」を注文。
目の前のテーブルには、蓋のついたガラスの入れ物に、生きた海老がピンピンはねているのが運ばれてきました。
生きた海老に、強いお酒を入れて持ってきたようです。日本で食べたのは、酔っ払って気絶した海老を生で食べたのですが、ここのは、そのあとそれに火をつけて、そこで料理をして食べさせていました。
が、ここで事件発生。
ウエイターが元気よくかき混ぜすぎて、火のついた海老が飛び出して、お客さんの洋服に飛び、焼けてしまったようでした。
トレーナーのお腹あたりに大きな穴が開いてました。
謝るでもなく「大丈夫?」だけですものね。
今日はお正月。みんなニコニコ。許せ!って所?
注文したものはみんな美味しかった。
海鮮が売りの店なので、海老、ホタテが新鮮で、包み方も綺麗でした。また行こう。
その後、チャイナタウンの中をうろうろしましたが、2箱1ドルの、小さなクラッカーがあちこちで売られ、子供達が歩きながら道にたたきつけて遊んでいました。
乾燥してはじけるような軽いこんな音なら安心して歩けます。
しかし、いつでもテロの危険をはらんでいるご時世です。
ポリスの数が多く、それも自動小銃っていうのかな。ターミネーターとか、マトリックス系統の映画に良く出てくるタイプの銃を持って、完全武装のポリスもあちこちにいるのにはぞっとします。
もし、何か有ったら、この人ごみの中でもあれを使うわけでしょうから、そうなるといったいどうなるのかしらなって想像してしまいます。
爆竹が炸裂していた方が、平和だったのね。なんてしみじみ思います。
そこからまたイーストビレッジまでガンガン歩いて戻って、帰って来ました。
久しぶりに運動した気分でさわやか。

これを書いたら、秀さんが「イーストビレッジ、ソーホーって何?」と聞いてこられたので、この人様のサイトをお教えします
http://www1.ttcn.ne.jp/~fujiyan/manhattan/m_index.htm
けっこう詳しく書いてくださっていて私にも参考になります。

NYの寿司

2003年1月27日
まだまだアメリカでお寿司を食べていない人は多いですが、マンハッタンとその郊外では、「SUSHI」はすでに一般化されています。
マンハッタンから車で1時間以上はなれた我が家の近所のスーパーでもパックされた握り、巻物寿司が売られています。
ただし、寿司なのか、お結びなのかは、高いお金を出して味を見る勇気は無いので分かりません。
前に書いた自然食の店では、玄米で作った巻物も売られていて、寿司という先入観を持った日本人では考えられない発想のもが沢山あります。
私も日本レストランのウエイトレスをしていた事があります。
もう6年以上にもなりますが、店も新しかったし、何よりもまだ日本食がその地域では目新しかった時に、そこで働きながら、どんどん寿司が広がっていく様子を見ているのは楽しかったです。
そこの店の客のほとんどはアメリカ人です。
客が寿司を初めて食べる友達を連れてきたり、一度来て、また次に新しいものに挑戦する時に、インフォメーションをあげたりと客との駆け引きも楽しいものでした。
なにせ最初に食べた物がまずかったら、もう二度とその人は寿司に手を出さなくなりますしね。
客を見て、その人がどこまで生の魚を食べられるのかを見極めて薦めていました。
ワサビもアメリカン人にとっては新しいもので、知らずにそのまま口に入れて悲鳴をあげるなんてしょっちゅうでしたから、事前に一言言ってあげていましたが、それでも顔を真っ赤にして首を振っているなんて良くありましたよ。
でも、このワサビは、一度味わうと、その刺激が癖になるらしく、ワサビのおかわりをよく頼まれました。
人によっては、寿司ネタの上にワサビをてんこもりして食べていました。感覚が麻痺しているんじゃないのかなって心配になりますが、ここいらへんが、日本人と欧米人の味覚の違いでしょうね。
寿司の皿の横に山盛りのワサビを置くのは、日本ではありえないことですが、こちらではします。
そのワサビをたっぷりの醤油で溶いて、ご飯にたっぷりとしみこませて食べるのが、アメリカ人流寿司の食べ方です。
しまいには、皿ではなくおわんに醤油を入れて、その中に浸して食べている人までいましたよ。
ここロングアイランドは、周りを海に囲まれていますので、マグロ、ヒラメなどの新鮮な魚が容易に手に入ります。
その魚を使っての握りも良いのですが、日本の発想からかけ離れた、ユニークな巻物を食べたら、とりこになってしまうほど美味しいです。
日本からきた友達の間で人気なのが、脱皮直前の渡り蟹、ソフトシェルクラブって言うのですが、それを1匹丸まま天ぷらにして、巻いてうなぎダレをかけて食べる「スパイダー巻き」です。
両端にかにの爪があり、しゃきしゃきと歯ざわりがよく美味しいですよ。
こちらのテレビで、フジテレビの「料理の鉄人」をやっていて、人気番組の一つとなっています。
この番組がさらに日本食ブームに火をつけた感じなのでは無いかと思います。
昔の日本レストランは、なにか田舎の食堂的で、出てくるものも「日本食もどき」が多かったのですが、新しく出来るレストランは、全てにおいて新感覚です。
「アメリカン寿司」として、日本のとは全く別の、スナック感覚で新しい世界を作り出しています。
と、言う事で、明日は友達が来るので一緒に食べに行く事になっています。



マンハッタン

2003年1月26日
今日は用事で朝からマンハッタンに車で出かけた。
行く途中の反対側の道路で、車がほとんど形をとどめていないほどの事故があり、私も十分に注意して運転をしていった。
どうしても覚えきれない道があり、今回もニュージャージーに行くトンネルの方に出てしまい、あわてて右折。
マンハッタンは中ほどはほとんど直線になっているけれど、下のほうに行くと道が入り組んでおり、迷う事が多い。
日本から来ている人に会い、マンハッタンの感想を聞くと「ビルがきれい」だそうだ。
私もそう思う。けっこう古いビルが多く、そのビルには新しいビルには見られない、彫刻のような飾りが施されてる。
そんなのを見ながら歩くのも、楽しみの一つだ。
昼から娘二人とイーストビレッジの方に行き、食事をする。
そこいらへんは日本食をはじめ、多国籍のレストランが多い地域で、今日は1と2の間6丁目のインド料理通りでインド料理を食べようという事になった。
上の子が最近行って美味しかったという店に行く。
ランチがスープ、カレー、コーヒーか紅茶がついて5,6ドルで食べられる。
ラム、チキン、シーフードカレーを取り、飲み物、ナンなどを取ってもチップを入れて3人で合計28ドル。
安くてよい。
味はおとなしめかな?パンチが少し足りないみたい。
その後日本人経営の美容室で髪を切ってもらった。
家の近所の美容室で切ってもらうと、左右の長さがちかったり、本当にいいかげんで恐ろしい事になる。
特に、美容室が嫌いな私にとっては、決死の覚悟で出かけなければならない。
日本では「カリスマ」と言われた人らしいが、ご主人とアメリカで実力を試してみたいと、多くの人に反対されたがやってきたそうだ。
このイーストビレッジにいる限りは、東京と変わらないといっていた。
「みんなあわただしいんです」彼女が住んでいるところは、静かなので、そこでは音楽も聞かず、何も音のない時間を過ごすそうだ。
日本はどこかで音がなっていて、脳が休むときがないのでストレスが多いなかなと思う。
そこからまた車で、フラッシングという街に行く。ここは韓国、中国、インドなどあらゆる人種が混ざった活気あふれるというか、ごみごみした街だ。
道路も車があふれ、2重駐車なども当たり前にやられている。
こういう食の為にごたごたしている場所は割と好きだが、今日は中国医のところに行くだけの用事、しかも予約時間ぎりぎりで走っているので、ちょっと辛い。
医者のところには走っていったので、顔色を見た先生が「今日はいい顔色だね。血圧もちょうど良いよ」と言う。いつもは上が90あれば良い方。
そこからまた車をガンガン飛ばして家に7時くらいに到着。
長い1日だった。 

寒さ

2003年1月25日
この10年近く暖冬が続いていましたが、今冬は久しぶりに冬らしい冬です。
特にこのところマイナス10度というのが続いていて、私は亀さんのごとく家にこもりっきりでした。
土曜日に、彼と二人で外に出たついでに大きな池の方に行ってみました。
そこは、池といっても、奥の方は海に出ていて広く自然味豊かなところです。
池の周りは散歩道のようになっており、四季それぞれに木々が装いを変えて楽しませてくれます。
今日はそこに行って、いつもとは違う様子に驚きました。
一面が凍りつき、沢山の人がスケートを楽しんでいるのです。
おそろいのアイスホッケーのユニホームを着たお父さんと、3歳くらいの男の子が遊び終わって岸に上がって来ました。
「どうだ。楽しいだろう」「うん」
お父さんは満足げな顔で息子のスケートを脱がせて
あげていました。
遊んでいる人も年代も様々です。
子供連れ、中年夫婦、スケートもさびのついた古い物をあわてて引っ張り出して持ってきたような人もいます。
雪が降ると、ゴルフ場にそりを持って大人も子供も
繰り出します。
自然の中で自然に合わせて遊べるのって良いなって思います。
帰りの車で、アメリカ生活1年目のミシガンの話になりました。
そこの地は冬はここよりももっと寒く、湖も分厚い氷が張って、彼が興味津々にその上に車を乗り上げた事が有ります。
その話をすると「そんな事をしたら危ないじゃん。割れたら終わりだろ」と、やった当人が驚いていました。
その時は、安全を確信できるくらいに寒かったんです。本当に寒かった。
氷は割れなかったけれど、スリップして大変でした。

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